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地震大国日本。 私たちは高い確率で予測される、大惨事を前に生きています。 このまま何も対策せず、大して意味も無い仕事に縛られ、 余裕も無く、日々の生活に明け暮れて、それで本当に良いのでしょうか?                                              それは嫌だ! と、立ち上げたのが、弊所です。

備蓄米は毎年更新するものなので、一年分をいかに鮮度を保って保管するかです。

自身検証中ですが2ℓペットボトルが一番でしょう。

サバイバルとしての備蓄という意味では栄養面で玄米をお勧めします。排毒にも一番ですし。

黒豆を若干加えて炊くと臭みが取れて、飽きずに続けられます。  



方法

米を目一杯入れる。

側面を軽く叩いて振動で詰め込み、空いた隙間にまた目一杯米を投入。

これを何回か繰り返して最後に指でこれ以上凹まなくなるまで押し込んで、蓋をして密封。

(灯油ポリタンクでこれをやると、フタの位置で押し込む力が端になり、容量も大き過ぎて力が逃げて行く。)



これで3年前の玄米でも新米のように食べています。

水分が少し減っていたり、若干の風味が落ちていた米は、

よく考えると、米袋で放置した期間の長い物を、その後ペットボトルに移した場合であったようです。

直ぐ移せばその分鮮度が失われずに済みます。



脱酸素剤を入れずともやがてボトル内の空気は消費されてしまいます。

残留酸素と米から出る微量酸素は、若干の米の酸化に消費されて、

その後真空になりますから、使い捨てカイロも不要です。

開封する時プシュと音がするので判ります。

つまり真空ですからカビや虫も活動出来ません。

鼠にも強いし、紙袋より長く使え、一本単位での持ち運びも軽く便利です。

焼酎などの大型ペットボトルもいいのですが、手に入り難いのと、

2ℓ型の良い所は同サイズで6本入りの段ボール箱に収納出来、

当方玄関先に積上げて保管しております。

日陰さえ確保すれば、通風や湿気など無関係で犬走り空間にも置けるので、室内が広く使えます。

極端な話、野ざらしにブルーシート掛けでもいいんです。



この2ℓペットボトルも100本集めるのは大変です。

ゴミ集積所で探しても、潰されて排出されていたり、蓋が無かったり、きれいかどうか、

水用ボトルだったかどうかなどの確認が出来ないので。

行政に使用済みペットボトルの再利用方法として提案しようと思っています。

協力またはあなたが提案してみてください。



いずれにしても米に限らず豆類にも使ってみて下さい。

袋に柿渋を塗る手間や費用、冷暗所などの保管場所の苦労の手間も省いて、更に鮮度も保てます。


◆ ペットボトル保管の補足

・焼酎などの大型ペットボトルは口が大きいので、米より粒の大きい豆類の保管に向いてますが、

サイズが揃え辛いので大量備蓄する米には空間的に不適当です。

・2リットル型はサイズが揃え易く、6本入段ボール箱も入手し易いので

 積み重ねての大量保管スペースが作り易い。

・ジュース類の空きボトルは移り香があるので極力避けます。水が入っていた空きボトルの方が無難。

・密閉容器の無かった時代ならば、籾米保管が最上でした。次が玄米。

 どうせ湿気が入るから、せめて通風を良くして乾燥させ最大限カビや虫の予防をしたわけです。

けれど酸化は防げません。

密閉容器で呼吸を止めれば米は眠るだけです。

むしろ活力が温存され、酸化もしないので種用にこそ向いているはずです。

モンサントなどで世界中の種子を冷凍保存して眠らし、自在に発芽させますし。

これは私の見解にしか過ぎませんので、良かれと思って書いてみただけです。

・絶対に低温冷蔵はせず、ペットボトル保管は常温で充分です。

もし夏場に一時間以上停電すると、低温冷蔵米は一気にストレス米と早変わりして、ぼろぼろになります。



皆さんのベストの選択肢のひとつになれば・・・



6本入りダンボール箱はスーパーで簡単に入手出来ます。

これで遮光と積み重ねをし、更に銀シートで蔽って、野外で長期大量備蓄も可。

又はちょっとした隙間スペースに分散備蓄するにも、6本入り箱の重量と大きさは扱い易いです。



ボトルの内部の乾燥方法

ペットボトル内の乾燥処理については、これも最近は微々たる問題としています。

当方では洗浄後のボトルは振って水を切り、微量の残存水滴があってもそのまま玄米を詰めています。

もともとの玄米にも水分はあるわけだし、あまり神経質に、完璧に乾燥する必要は無いだろうと。

その僅かな水滴は比率から行って大量の玄米に吸い取られ、

ほぼ真空除湿が達成されたボトル内では悪さをする影響は少ないという結論に。



次回はコクゾウムシが湧いた紙袋保管米の処理について書きます。
しばらく活動休止状態でしたが復活致します。



かつて他国の侵略に遭い、奴隷となった民族がいて、その民族は愛する家族や友人、隣人を

次々に虐殺され、引き裂かれました。

かろうじて生き残った人々に待っていたものは、人としての尊厳を剥奪されて生きる絶望の日々でした。

それは地獄そのものであり、想像を絶する生存極限での日々であったのだろうと思います。



そんな中で昼は奴隷労働を強いられ、夜は狭く汚い奴隷部屋に閉じ込められる。

未開民族でない、文明を持った民族がある日突然このような仕打ちを受けたとします。



人権を無視しているからこその奴隷部屋は、不衛生極まりない環境に置かれていたでしょう。

だから征服者側からすれば、彼らを閉じ込めればそこは一刻も早く遠ざかりたい場所であったはず。

そこで彼らは毎夜毎夜話し合ったのでしょうね。



それは全身全霊から振絞られた気迫と、誰も去ったり、仲違いしようも無い環境の中で行われる

白熱の議論です。

そこには初めから意見が割れようも無いテーマが与えられている。

この恨みをどうやって晴らすか。いかにして復讐を成し遂げるか。

焦点はこの一点に最初から絞られていたに決まっています。



そこで死すら恐れぬ怒りのエネルギーで結束された、親子夫婦を超える固い絆の団結が産声を上げる。

かつてバビロンの捕囚となった民族が、以来数十世紀に渡って連綿と引き継がれる

長期計画を練り上げて行きました。

その団結はやがて秘密結社となり、その結論は各々が世界への埋伏の毒となり、

あらゆる力を金融で操る事だった。



こうして遂にほんの少数である彼らが世界の実権を握りました。

これを前にして、圧倒的多数の世界人民であっても、最早どうする事も出来ません。

未開民族は別にしても、彼らに比すれば他民族の捕囚とはならなかった日本や欧米人に

その怒りのエネルギーはありません。

結束に適した奴隷部屋の代わりに、マネーによる経済格差で、民族間、個人間は分断統治され、

その結束を阻まれているのです。

怒りの矛先は巧妙にその民族間、個人間に向かうように仕向けられ、

その変化エネルギーを消費させられている。



同じ事が世界の雛型としての日本では二重に当て嵌まる状況下にあります。

シオニストと世界の関係の縮図の如く、日本の中枢を蝕む埋伏の毒が

今や同様に蔓延しているのです。

姿形が異なる民族において埋伏する為の間接支配なのでしょう。

彼らとてその駒に過ぎないのです。



そんな中で経済や政治の知識を積んで、いくら議論しても無駄でしょう。

相手は猛烈な地獄を潜り抜けて、堅く結束された民族です。

隷属を経験した者だからこその深謀遠慮の前に、文明の恩恵を受けて、

自分の糞の始末すら人任せの甘え切った存在に何が出来るというものでもありません。

中でもその格差社会の上位者として優遇されている知識人ほど始末に負えません。

そこでは彼らの結束よりも強い結束は存在し得ない。



さあ、ではどうして社会を変革出来ようか?

いかに彼らの生い立ちに同情はしても、過てる世界支配は糺さねばなりません。

どうやって?

経済格差で分断された庶民にとって、あらゆる利権は必ず不一致に終わることになっており、

つまりそんな中での政策は絶対に纏まる事はありません。



断言します。怒りや憎悪由来の結束では、世界庶民の同士討ちしかないのです。

まずはこの分断統治を解くことです。

いくら学識や理念、哲学や人格で、人々を啓蒙しても不毛であるのは、

このマネーによる分断統治があるからです。

ここでいくら世論喚起して行動を起こしてみても、

利権の反する庶民同士の紛争で終わる仕組みがあるのです。



それこそが人類の原罪、マネーによる代理、代行、代表行為の原罪たる所以です。

これを覆すには苦肉の策、連環の計をもってするしかないでしょう。

一縷の望みを托すなら、利権によって異なる学識や理念、哲学や人格ではなく、

誰かが、万人に共通の生理現象のマネー無しでの解決法を持って、

誰もが幸福に暮せる見本を示す事です。



そうすれば思考停止した人々でも、貧困に困窮している人々から真似し始めるでしょう。

そこで「誰か」に依存することこそが代理、代行、代表を立てることですから、自ら行動を起こしました。

真似をしてもらう為です。それは代理、代行、代表が利かぬ生理現象の生活そのものであります。



その集団が相互扶助する組織を生み出し、其処に生まれる喜びの結束が、マネー格差を消して行くのです。

そんな意味で相互扶助中継所を設立しました。

まだ準備万端ではありませんが。